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日本人とウルトラマン

日本人とウルトラマン

中沢新一

中沢 新一(なかざわ しんいち)

1950年、山梨県生まれ。思想家・人類学者。明治大学野生の科学研究所所長。インド・ネパールでチベット仏教を学び、帰国後、人類の思考全域を視野にいれた研究分野(精神の考古学)を構想・開拓する。著書に『チベットのモーツァルト』、『森のバロック』『フィロソフィア・ヤポニカ』『アースダイバー』『カイエ・ソバージュ』シリーズ、『芸術人類学』『野生の科学』『大阪アースダイバー』『熊楠の星の時間』ほか多数。日本の各地における歴史や文化の生成を人文科学と自然科学の両観点から解き明かそうとする試みである「アースダイバー」プロジェクトや展覧会の監修など、多岐に渡る活動を展開している。

1966年の『ウルトラQ』に始まったウルトラマンシリーズは、戦後の世界状勢や日本社会の変遷と共に展開を遂げて来た。ウルトラマンシリーズに日本社会の反映を読み取れるのであれば、日本的思想の中にもまた、ウルトラマンシリーズの源流を探れるのではないか——。そして、それを掘り下げることで見えてくる未来があるのではないか。人類史的視座で思想を展開する中沢新一氏と共に、「日本人とウルトラマン」という主題を深く考えてみたい。
(聞き手:円谷プロダクション)

——今回『ウルトラQ』をあらためてご覧になって、どんな印象をお持ちになりましたか?

 『ウルトラQ』は、なんといってもオープニング、タイトルロゴが出来上がるタイトルバックが非常に印象的ですね。ここに『ウルトラQ』のエッセンスが集約されているといってもいいかもしれません。混沌がぐるぐるとかき混ぜられていくうちに、画面に『ウルトラQ』という文字が現れる。混沌の中から秩序が出現するというカオス理論的な主題が、数秒の映像の中にみごとに表現されています。カオスと秩序は『ウルトラQ』から続くウルトラマンシリーズの重要なテーマですからね。

 『ウルトラQ』が制作された1964年~66年当時というのは、日本はとても不安定な時代でした。国内の状況を見ると、日米安保闘争や公害などが無視できない問題として社会に揺さぶりをかけていました。1964年の東京オリンピックに向けて高度経済成長で華やかに発展を遂げる一方、古いものがどんどん壊されて街が様変わりしていった。そういう時代の不安定さ、社会を覆う「アンバランス」が一貫して描かれている作品が『ウルトラQ』だと感じました。
 一方で、当時はアメリカへの憧れも大きかったですね。音楽や映画、テレビ番組など多くの文化が入って来て、影響を受けた作品が日本でも多く制作されています。『ウルトラQ』もその流れの中で、当時アメリカで人気の『トワイライト・ゾーン』(『未知の世界』として1960年に日本テレビで、『ミステリー・ゾーン』として1961~1967年にTBS系で放映)」などのアメリカのテレビドラマを参考に作られたというのもよくわかります。「世にも不思議な物語(One Step Beyond)」や「ミステリー・ゾーン」など、当時わたしもよく観ていました。
 アメリカでこれらの番組が制作された1950年代後半は、市民生活が比較的安定していた時代と言えますが、大衆娯楽には大きく分けて3つの系統があったと思います。ひとつはファミリードラマ。もうひとつは西部劇。そしてパニック映画です。平穏な日常が、突如として得体の知れない怪物に壊される。安定した社会でこういうものが好まれるということが、子供ながらに不思議な気持ちがしたことをよく覚えています。日本でも1953年にテレビ放送が開始され、番組が盛んになっていく中で、不安定な世相とアメリカ製のパニック映画の主題が出会い、そのなかから日本人にも好まれるストーリーをつくり、それを手持ちの技術とデザイン感覚で和製のパニック映画をつくろうという動きが起こり、それに挑戦していったのが『ウルトラQ』でした。