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ARCHIVESプロジェクトレポート第5回「中野昭慶(特技監督)」

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第9回「倉方茂雄(機電)」

電気スタンド造りから
特撮用の模型造りの道へ
やがて「機電」の名職人に

清水節

清水 節 しみず・たかし

1962年、東京都生まれ。映画評論家・クリエイティブディレクター。「PREMIERE日本版」「STARLOG日本版」等での編集執筆を経て、「映画.com」「シネマトゥデイ」「FLIX」等で執筆、ニッポン放送等に出演。著書に「いつかギラギラする日  角川春樹の映画革命」「新潮新書 スター・ウォーズ学」等。WOWOWのドキュメンタリー番組「ノンフィクションW/撮影監督ハリー三村のヒロシマ」企画制作でギャラクシー賞、国際エミー賞受賞。

(※本文敬称略)

機械と電気の合成語と言われる「機電」という専門職。円谷プロの初期作品群から長年にわたり、キャラクタースーツに電球やモーターで動く仕掛けを施すことでヒーローや怪獣に命を吹き込んできたのが、倉方茂雄だ。もちろん、ウルトラマンのカラータイマーを点滅させたのも、彼の仕事。しかし、当初は特撮を目指して、この世界の門を叩いたわけではなかったという。

 10代の頃、町工場で働いた後、模型や電気製品を作る会社に入社した。
「主に、外国人向けの電気スタンドを作っていました。ワシントンハイツ(1946年から1964年まで、東京・代々木一帯に存在した在日米軍施設)の家族などにね。電気スタンドといっても花瓶や博多人形と一緒に置くようなテーブルランプです。真鍮(しんちゅう)板を四角く折り曲げて、はんだ付けして造ったのもありますけどね。表には竹の彫刻をしたりして。うちで加工したんですよ。花瓶の底に穴を空けたり、真鍮パイプを通したり。上にシェードを取り付けるアームっていうのを取り付けたりして。でも、私が入社したのは模型造りが好きだったからです」

石井製作所に入社し
映画美術の世界へ

 倉方が在籍した会社の名は「石井製作所」と言った。模型制作も行ったその会社の経営者は、石井清四郎。石井は、戦時中から円谷英二の下で、映画用の精巧なミニチュア制作も行っていた。『南海の花束』の飛行艇や『ハワイ・マレー沖海戦』の真珠湾の飛行機を担当したと言われている。ちなみに、「機電」の命名者は石井である。