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円谷特撮メカ 第2回「国際自然保護連合所属 高性能探険車 ボーンフリー号」

円谷特撮メカ
第2回「国際自然保護連合所属 高性能探険車
ボーンフリー号」

由緒正しい「探険車」の流れを組むメカニック

円谷プロ作品の中で様々な形で描かれてきた、ファンの胸に今も強く残っている忘れじの「メカニック群」の数々。それらの魅力を改めて追及・検証してみようという本コラム、その第2回目は1976年に放送された『恐竜探険隊ボーンフリー』に登場の、まさに主役メカニックである、ボーンフリー号を取り上げる。

「探険車」。なにはさておき、ボーンフリー号は「探険車」である。その言葉から、60~70年代初頭に少年時代を過ごした方は、「宇宙探険車」、「月面探険車」といったメカニックを思い浮かべるのではないか。実際に月面探険車(月面車)が運用されるのは1971年7月のアポロ15号の月面着陸飛行におけるJ計画(=拡張型着陸船、船外活動用特殊バイザーおよび月面車を使用し、月面に3日以上滞在する計画)実施時においてだったことから振り返っても、円谷プロ創始者である円谷英二が「宇宙空間で運用される特殊な車両」を1959年公開の東宝特撮SF映画『宇宙大戦争』における月面探険車でビジュアル化・演出していたのは、かなり斬新かつ鮮烈なものだったと考えられる(月面車そのものの構想や理論の提唱は、1950年初頭から始まってはいる)。この月面探険車の登場に端を発し、多くの子供たちの中で、月面や未開の地で運用されるイカした車両、探険車のイメージが確立されていったものだろう。

やや話は脱線するが、実はソビエト連邦が、アメリカに先駆けて月面車を運用させる計画を成功させている。それを「ルノホート計画」と言うが(ルノホート=ロシア語で月を歩行する者の意)、この計画内で実際に運用されたルノホート2号や計画のみに留まってしまったというルノホート3号などの姿を見ていると、あるメカニックを想起せずにはおれなくなる。全身銀色、実に武骨な外観、いかにもそれらしい8輪車…そう、ボーンフリー号だ!
また、その探険車のルーツを遡ってみれば、これぞ「ザ・探険車」といって差し支えないものが歴史上存在する。南北両極の飛行成功によりアメリカの国民的英雄となったリチャード・バード海軍少将が、南極調査のために発注して1939年に建造されたアンタークティック・スノークルーザー(南極探検車)がそれだ。全長16.7メートルで重量37トンだったというから、スケール的に、ほぼボーンフリー号と同じだ。写真を見ると、特撮モノに登場してきそうな「いかにも」な外観である。内部に人間の居住空間が設定されているので、まさにボーンフリー号の先祖とでも呼びたくなる、雰囲気たっぷりの車両である。