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日本人とウルトラマン

日本人とウルトラマン
第5回 子供という怪獣

中沢新一

中沢 新一(なかざわ しんいち)

1950年、山梨県生まれ。思想家・人類学者。明治大学野生の科学研究所所長。インド・ネパールでチベット仏教を学び、帰国後、人類の思考全域を視野にいれた研究分野(精神の考古学)を構想・開拓する。著書に『チベットのモーツァルト』、『森のバロック』『フィロソフィア・ヤポニカ』『アースダイバー』『カイエ・ソバージュ』シリーズ、『芸術人類学』『野生の科学』『大阪アースダイバー』『熊楠の星の時間』ほか多数。日本の各地における歴史や文化の生成を人文科学と自然科学の両観点から解き明かそうとする試みである「アースダイバー」プロジェクトや展覧会の監修など、多岐に渡る活動を展開している。

 『ウルトラQ』は<自然の軸>、<科学の軸>そして<人間の軸>という三つの軸がまるで渦を巻くように絡み合いながら毎回の物語を紡いでいます。今回は、この三軸における<人間の軸>において重要な働きをしている「子供」の持つ意味について考えてみたいと思います。

 以前にも述べましたように、子供は〈自然〉と社会的〈人間〉の中間に立つ存在です。じっさい生物としても、母親の胎内でヒルコのような状態からだんだんと胎児としての形をなし、〈自然〉状態で生まれ出てきます。自分ひとりでは食べることも、立ちあがって動き回ることもできない未熟な状態から成長していく過程で言語を習得し、社会性を身につけて〈社会〉の構成員である大人になっていきます。その中間的な状態をさして「子供」と呼んでいます。そのため子供は自分の中に未分離な〈自然〉を抱えています。この〈自然〉は社会性とは異質な、一種のアナーキーさを秘めています。その意味で子供は〈社会〉に組み込まれきれない異物性を備えています。子供の持つこのようなアナーキーさが、ウルトラマンシリーズではきわめて大きな意味を与えられています。

 そこでは、子供たちの登場するお話が数多く描かれました。ガキ大将、いじめられっ子、おしゃまな少女、生意気な子供、クールな友達・・・、実に多彩な姿を見ることができるでしょう。『ウルトラQ』においても、怪獣博士のようなジロー少年(第1話『ゴメスを倒せ!』)や泥棒顔負けの生意気さを発揮する亀好きの太郎少年(第6話『育てよ! カメ』)、超特急いなづま号へ乗り込んだ靴磨きのイタチ(第10話『地底超特急西へ』)、おばあちゃんが歩けるようにと虹の卵を探すピー子たち(第18話『虹の卵』)など、様々な魅力に溢れています。彼らは大人のように怪獣を怖がるだけではなく、絶妙なバランス感覚で怪獣と付き合っています。また怪獣の方もそういう子供たちからの呼びかけに応えたりもするんですね。テレビを見ている子供たちは、きっと怖がりながらも友達のような感覚で『ウルトラQ』のお話に入っていったことでしょう。

 『ウルトラQ』という作品は、アンバランスの侵入によって自然と人間のあいだの釣り合いが崩れてきてさまざまな怪異現象が起こることを、基本的な主題にしています。子供はもともと、〈自然〉と〈社会〉の中間で微妙なバランスをとっている存在です。流動的な中間の世界を生きながら、そこで何度も崩れそうになりながらもうまくバランスをとっていこうとする先天的な知恵を備えています。そういう子供にアンバランス状態はどうやって発生し、怪異現象を引き起こしていくのでしょうか。子供は、喧嘩をしたり、友情を結んだりしながらひとつの社会を作っていきます。それは大人のつくる社会とは異なっていますが、そこには独自の論理が働いていて、絶妙なバランスを成り立たせています。そこに大人の社会や国家や経済の論理が侵入してくるとき、子供の世界に独特なバランスがしばしば崩壊させられます。それが、怪異現象や怪獣の出現となって現れてくるのです。このことを主題にした二つの印象的な作品があります。『悪魔ッ子』と『カネゴンの繭』です。この二作品を見ると、子供という問題面に投影された『ウルトラQ』の本質が見えてくるように思います。