TEXT SIZE

標準
ARCHIVESプロジェクトレポート第5回「中野昭慶(特技監督)」

ARCHIVESプロジェクトレポート
第5回「中野昭慶(特技監督)」
「ウルトラ」の名付親は円谷英二
撮影中にポータブルテレビで観た東京オリンピックがきっかけ

清水節

清水 節 しみず・たかし

1962年、東京都生まれ。映画評論家・クリエイティブディレクター。「PREMIERE日本版」「STARLOG日本版」等での編集執筆を経て、「映画.com」「シネマトゥデイ」「FLIX」等で執筆、ニッポン放送等に出演。著書に「いつかギラギラする日  角川春樹の映画革命」「新潮新書 スター・ウォーズ学」等。WOWOWのドキュメンタリー番組「ノンフィクションW/撮影監督ハリー三村のヒロシマ」企画制作でギャラクシー賞、国際エミー賞受賞。

(※本文敬称略)

 特技監督中野昭慶といえば、円谷英二亡き後、昭和後期の『ゴジラ』シリーズや『日本沈没』『連合艦隊』など、東宝特撮を牽引したクリエイターとして日本映画が誇る存在だ。ULTRAMAN ARCHIVESプロジェクトには、助監督時代の大先輩であった野長瀬三摩地監督と『ウルトラQ』における彼の代表作「東京氷河期」を語って戴くべくお呼びした。饒舌なトークは度々脱線し、知る人ぞ知る円谷プロ草創期のエピソードへ踏み込んでいった。
 東宝に入社した当初、監督志望の中野は本編の助監督に配属されていた。しかし円谷英二に見初められ、1962年に特撮班の助監督に抜擢。翌63年、テレビへの進出などを企図して、英二が立ち上げた「円谷特技プロダクション」も手伝うことになる。英二が手掛けるものなら社外の仕事でも携わったという事実から、当時の映画界の徒弟制度のありようが読み取れる。

「金城哲夫君がシナリオの修行をしたいと言って円谷さんのところにやって来て、円谷さんから『ちょっと面倒みてやってくれ』と頼まれました。初期の頃は、円谷プロに企画文芸なんてセクションはなかったんです。そんな頃『金城、いいところに来た!』と、彼を責任者に据えてね」

金城哲夫と一緒に作った
『UNBALANCE』企画書

 最初に関わったのは、フジテレビとの番組企画『WOO』。英二は、宇宙人といえば奇妙な生き物をイメージさせた風潮に抗い、「宇宙人を見せるなら徹底してかわいいものにしたい」という意図で、企画を進めたという。

「『SF作家クラブ』という小説家の集まりができたばかりでした。当時はまだ、日本にSFの土壌なんてなかったんです。ロマンを理解する大人が、ほとんどいなかった。だから、僕らもSFものをやるときは苦労しました。そんなゲテモノみたいなわけのわからん話を誰が喜ぶんだ!?というような感性の人が多かった。そういう時代に、円谷さんから相談されたんですよ」
「円谷さんは、『これからはテレビの時代だぞ。もうテレビがすべてになるよ』と言われていました。そして、テレビの新しいジャンルはSFだろうと。これはもう、円谷英二の判断でしかない」