TEXT SIZE

標準
ARCHIVESプロジェクトレポート第5回「中野昭慶(特技監督)」

ARCHIVESプロジェクトレポート
第8回「田中敦子(スクリプター)」

ウルトラマンシリーズが
語り伝えていくべきテーマ
それはやはり「世界平和」

清水節

清水 節 しみず・たかし

1962年、東京都生まれ。映画評論家・クリエイティブディレクター。「PREMIERE日本版」「STARLOG日本版」等での編集執筆を経て、「映画.com」「シネマトゥデイ」「FLIX」等で執筆、ニッポン放送等に出演。著書に「いつかギラギラする日  角川春樹の映画革命」「新潮新書 スター・ウォーズ学」等。WOWOWのドキュメンタリー番組「ノンフィクションW/撮影監督ハリー三村のヒロシマ」企画制作でギャラクシー賞、国際エミー賞受賞。

(※本文敬称略)

 スクリプターとしてウルトラマンシリーズ創成期に関わった田中敦子は、当時の円谷プロの現場スタッフの若さを、感慨深げに振り返った。圧倒的に20代のエネルギッシュな若者が多く、最年長だった美術総監督の成田亨でも、『ウルトラQ』と『ウルトラマン』の放送年に37歳だった。

「他のプロダクションに行けば、やはり上下関係ってありましたからね。監督とチーフとセカンドとサードとの格差は、歴然と違う。命令系統があってね。だけど円谷では、誰もが“ちゃん”付けで呼び合っていたし、ペーペーの私みたいな女性スタッフにも、気軽に声を掛けてくれた。年齢が近かったせいじゃないですかね。成田さんにはね、とても可愛がって頂きました。ある日の昼休みに、首にタオルを巻いて『時間がない!』と走り回っていた成田さんが、それから1時間くらいして、『これどう? いいだろう!』なんて言って、デザインを見せてくださって。それが、科特隊の車の脇に付いている流星マークでした。冗談を青森弁で喋る、お父っつぁんみたいな感じ。嫌味でも何でもなくていい感じでしたよ」

語られざるプロデューサー
清水満志雄という存在

 田中が、思い出深いスタッフとして挙げたもう1人は、これまで円谷プロ関連の資料に、ほとんど登場してこなかった人物だった。あるとき田中は、フジテレビの五社英雄監督の『三匹の侍』の仕事を依頼された。それは田中が現場未経験の時代劇だった。衣装や小道具、所作など現代劇とは全く異なるため、田中は辞退せざるを得なかったという。